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カメハメハ大王
ハワイ八島の統一を成し遂げた賢者とは
- 英国のクック船長のハワイ諸島発見、それに続く西欧人の来島とその助力が無かったら、カメハメハ大王による八島統一と王国の成立は、成し遂げられなかったかもしれない。クック船長とカメハメハ大王は、ハワイの長い歴史を変えたエポックメイキングな存在であった。
ハワイの歴史を知る上で、最も重要で、その名の知られた人物は、カメハメハ大王でしょう。
生まれた年は、1758年であろうと推測されています。これが正しいとすれば、日本では第九代将軍、徳川家重の時代、宝暦年間にあたります。ハワイ語を含むポリネシア語には文字がありませんでしたので、誕生日を証明する記録が無いため、大王の生まれた年は推測の域を脱しません。
カメハメハは、ハワイ八島を統一し、王国を創り上げたハワイ建国の祖に当たる人物です。ハワイ語で「大きい」を意味する「ヌイ」をつけて、カメハメハ ヌイと称されます。大王の像は、イオラニ宮殿から道を隔てた正面に威風堂々と建っていますが、その他にハワイ島ヒロと、生誕地に近いハワイ島北部のカパアウの、計三箇所に像が建てられています。
ハワイ島カパアウのカメハメハ大王像
三回目の太平洋探検航海を行っていた英国海軍クック船長の一団は、太平洋と大西洋側のハドソン湾を結ぶ水路が北米大陸の北に有るか否かを調査するために、ベーリング海を北へ向かい、1778年8月に、北緯七十度を越えたところで氷山に阻まれて断念。同年1月に自ら発見してサンドイッチアイランドと名づけたハワイへ戻り、水と食料補給を行いながら越冬することになります。
二隻の帆船は、11月にマウイ島東岸にたどり着きました。その時マウイの東端、ハナに滞在していたハワイ島の首長(アリイ)、カラニオプウは船に招かれ、その甥にあたるカメハメハは他の若いアリイの男性達と共に一晩船上に留まったと記録されています。生まれて初めて見る大型帆船と西欧人に、二十歳前後の若きカメハメハが、強烈な印象を持ったであろうことは容易に推測出来ます。イオラニ宮殿前の像の台座には、大王ゆかりの故事が刻まれていますが、その絵の一つにはクック来島時の光景が描かれており、西欧人との初の接触が、カメハメハにとって如何に重要な出来事であったかが見て取れます。
イオラニ宮殿前のカメハメハ大王像
イオラニ宮殿前のカメハメハ大王像の台座
クックと共に第3回目の太平洋探検に、士官候補生として参加していたバンクーバーは、その後、現在のカナダ、バンクーバー島西部のヌートカ サウンズへ赴く際に、英国海軍船長として二度ハワイを訪れています。既に自分の生まれ育ったハワイ島全体を手中に収めていたカメハメハは、船長との親交を深め、領土の統治の方法や西欧の事情等を学んだようです。そして、ジョン ヤング等西欧人の知識と力を借りてマウイ島を確保した後、オアフ島のワイキキからカハラにかけて上陸し、ヌウアヌパリで勝利し、1795年に王国を創り上げました。
バンクーバー船長 ビショップ博物館の展示物より
オアフに大王の大軍が上陸する様子を知るには、ロイヤルハワイアンホテルに飾ってある故ハーブ カネ氏の絵を見るのが最適です。Herb Kawainui Kāne さんは多くの絵画で、ハワイの歴史と文化を正確に伝えています。この絵を見ると、左側にダイヤモンドヘッドが描かれていますので、ワイキキ沖の風景だと云うことが解ります。多くのカヌーが帆を揚げて陸地を目指しています。舟上を見ると、ある者は槍を持ち、西欧人から手に入れたとみられる銃まで構えています。鳥の羽の冠り物「マヒオレ」と鳥の羽のケープ「アフ ウラ」をまっとった大王の後ろには、神官と思われる人物が戦闘の守り神「クーカイリモク」を高く捧げています。1795年春の光景です。
ロイヤルハワイアンホテルに飾られているハーブ・カネの絵
ロイヤルハワイアンホテルに飾られているハーブ・カネの絵
この絵からもう一つ読み取れる事柄があります。
ハワイアンのカヌーと大波に隠れるように、明らかに西欧のものと思われる帆船が1隻描かれています。西欧の船もこの戦闘に使われていたことを物語っています。
ハーブカネの絵画に描かれた西欧の帆船
その後、大王はカウアイ島攻略に二度失敗しますが、1810年にはカウアイ島のアリイ、カウムアリイより、カウアイとニイハウ島を受け入れ、ハワイ八島全てが王国の土地となりました。
大王は、晩年をハワイ島西部のカイルアコナで過ごします。そして、1819年5月8日の夕刻、腹心の部下であるジョン ヤングや、西欧人の医師とハワイの知識層もしくは神官にあたる「カフナ」の双方に見守られながら他界します。遺体は長男のリホリホに付き添われ、ハワイ島北西部のカワイハエに運ばれ数日間安置され、遺骨はしきたりどおりに籠に入れられ葬られました。ネイティヴ ハワイアンの間では、身分の高い人には「マナ」と呼ばれる力が宿っていると考えられていました。大王の遺骨は、その力を授かりたい者により持ち去られることを避けるため、側近の部下により夜の闇に隠れて密かに葬られました。どこに葬られたか、カメハメハ大王の遺骨は、今もその所在がつかめていません。
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浅沼 正和Masakazu Asanuma担当講師
【インタビュー動画あり】
ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。