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イオラニ宮殿の庭
イオラニ宮殿の庭からハワイ王国を学んでみよう
イオラニ宮殿の庭
王家の墓もありました。カメハメハ1世の時代は敵に遺骨を盗まれないために、誰もわからない場所に埋葬していたため、現在も見つかっていません。1825年カメハメハ2世と妃が亡くなってからは西洋風の墓を建てることになり、この場所に王家の墓が作られました。当時は白いサンゴのチェペルがあり、カメハメハ3世と妃、アルバート王子、カメハメハ4世など多くの王族が埋葬されました。40年ほど使われていたため、大変混み合い4世が亡くなる前にすでに現在のヌウアヌにある王家の墓マウナアラの建設が始められていました。マウナアラは1865年に完成し、カメハメハ4世を含む18の棺が移されました。現在でもここには「Kapu」と書かれ、柵がされ、ティリーフが植えられています。神聖であることは変わりなく関係者以外は入ることができません。
かつての王族の墓
アフ(Ahu)は昔の王家の墓のキングストリート側にあります。1993年王国崩壊100年を記念し設置された石で、現在でもいろいろな行事のたびに使われています。
アフ
その昔ハワイでは水の供給が容易なことではありませんでした。カラカウア王が許可し、イオラニの庭でも井戸掘りが始められました。1883年に井戸堀りは成功した日、井戸から水が出た水を止めることができず、宮殿の庭は水浸しになったと伝えています。その後この井戸の水はホテルストリートとヌウアヌストリートの水道管に繋げられました。井戸の上には小さい噴水も作られていますが、現在はこの井戸は使われていません。
井戸の跡
イオラニ宮殿のゲートはいくつかあります。大きなものは4つあり、そこにはカメハメハ3世により作られたコート・オブ・アーム(ハワイ州の紋章)が付けられています。当時4つのゲートは使う人が決められていました。カウイケアオウリ・ゲートはカメハメハ3世の名前にちなみ名付けられ、キングストリート側の王族、政府高官、来客専用デートでした。キナウ・ゲートはカメハメハ大王の妹の名前にちなみ名付けられ、リチャード・ストリート側のビジネスマンや商人専用ゲートでした。ハカレレポニ・ゲートはカメハメハ3世の妃、カラマ王妃にちなみ名付けられ、ハワイ州庁舎側のスタッフや近衛兵用ゲートでした。リケリケ・ゲートはカラカウア王の妹の名前にちなみ名付けられ、州立図書館側のロイヤルファミリー専用ゲートでした。
また、宮殿を囲む塀は当初、8フィート(約2.4m)の石の壁でしたが、1889年ウィルコックスの反乱により一部壊されてしまい。一時3フィート(約90cm)に低くされ、3年後には3フィート6インチ(約1.1m)の現在の鉄の柵に作り替えられました。
ゲートのコート・オブ・アーム
現在イオラニ宮殿ツアーのチケットの販売、ショップがあるビルはイオラニ兵舎(別名ハレコア)と呼ばれています。もともと現在の州庁舎の手前あたりに建てられ、近衛隊の兵舎として使われていました。王国崩壊後は戦争のシェルターや政府の建物として使われその後1965年に移築したものです。カメハメハ5世の建物制作の中の一つであり、1871年に建築家セオドア・ヒュックによりデザインされサンゴを使い建てられました。
イオラニ兵舎
戴冠式パビリオン(ケリイポニ・ハレ)はイオラニ宮殿が建てられた当初は、正面玄関のベランダに繋がっていました。1883年の戴冠式が行われた後、現在の場所に移されました。8角形のパビリオンはハワイや他の国の盾が飾られています。オリジナルの木製の構造はシロアリにより弱くなってしまったため、一部銅の屋根などを残し1919年に建て替えられました。地下は戦争中シェルターにも使える様、コンクリートで作られ丈夫なものとなっています。現在毎週金曜日、カメハメハ3世によって作られたロイヤル・ハワイアン・バンドがこのパビリオンの横で演奏をしていることより、バンド・スタンドとも呼ばれています。また、歴代の知事もここで就任式をしたこともあります。
戴冠式パビリオン
キャプテン・クック・メモリアルはカナイナ・ビルの前にあり、1930年に欧米より初めて来島したことを称える為に作られ設置されました。キャプテン・クックは1778年ハワイ諸島を発見し(当時はサンドイッチ・アイランドを呼ばれていた)初めての欧米人としてカウアイ島に到着。その次の年にハワイ島で殺されてしまいました。
キャプテン・クック・メモリアル
リロア王の石(パエパエ・カプ・オ・リロア)はキャプテン・クック・メモリアルのすぐ前に置かれています。こちらの石は非常に神聖なものと言われています。15世紀のハワイ島ではピリ王朝の12代目リロア王が政治を仕切っていました。王家はワイピオ渓谷に住居を構え、そこから政治を行っていました。王が直々玄関の敷居にと、自らが肩に乗せ運んできたと信じられるこの石は、誰も踏むことを許されませんでした。妻でない女性が産んだたくましい男子がやがてこの石を踏み、王に会いに来ました。このウミと名乗る男子が後のリロア王の後を継ぎ、王となりハワイ島を統治しました。カメハメハ王朝もカラカウア王朝もこのウミ王の子孫にあたると言われています。カラカウア王はこの石をハワイ島より持ち帰り、私邸に置いていたと言われていますが、後にクヒオ王子の未亡人よりハワイ市に寄付され、その後ここイオラニの庭に移されました。
リロア王の石
もう一つ、カナイナ・ビルの前にはウミ王の「ナー・カ・ラニ・ポーハク」が置かれています。ウミ王がコナでヘイアウ(ハワイアンの祭場)に使うために切った石だと言われていますが、真相はわかりません。このウミ王の切石は現在のイオラニ宮殿ではなく、カメハメハ3世により建てたれた旧イオラニ宮殿の前にも置かれていたものです。非常に力のある神聖な石ですので、リロア王の石同様、上に立ったり、踏んだりしないように、敬意を持って見学してください。
*カナイナ・ビルはオールド・アーカイブ・ビルと呼ばれ1906年に建てられました。1929年に一度目の増築をし、1949年さらに増築され現在の大きさになりました。今ではイオラニ宮殿のオフィスとなっています。その裏にあるのはケカウルオヒ・ビルと呼ばれステート・アーカイブと言い、歴史上の写真や資料などが保管されています。一般人も入ることができます。
ウミ王の切石
イオラニ宮殿の裏側にあるバニアン・ツアーはカピオラニ王妃が1882年から1885年の間の誕生日に2本植樹されたと言われていますが、確かなデータは残されていません。ハワイ州になる前の共和国の時代にその一部が移されたというデータもあるようですが、本当に王妃が植樹した同じ位置に今のバニアン・ツリーがあるかは今でも不明です。
バニアン・ツリー
戴冠式パビリオンの近くには伝統植物のハワイ州の木、ククイナッツツリーがあります。1934年にフランクリン・ルーズベルト大統領がイオラニ宮殿を訪れた際に植樹しました。当時大統領は持病により車椅子で行動をしていたことを隠していました。ククイの植樹の際も車の荷台から植樹をしている姿が写真に残されています。他にモンキーポッド、伝統植物のカマニ、コウの木などが植えられています。
イオラニ宮殿
https://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/116
アフエナ・ヘイアウ
https://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/10
イオラニ宮殿
https://www.iolanipalace.org
Royal History Book for Docent
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藤原 小百合 アンAnne Sayuri Fujiwara担当講師
【インタビュー動画あり】
アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。