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所用時間5min
2021.03.09

クイーン・ストリート

ここがポイント

ダウンタウンからアラモアナセンター前まで続くクイーン・ストリート。その道沿いにある歴史的な建物と、それらにまつわる歴史などを詳しく学びます。


ダウンタウンには、1800年代から存在する歴史ある道が今も残っています。その中の一つ、クイーン・ストリートは、ダウンタウンのメイン・ストリートであるキング・ストリートとほぼ平行に走っている道です。

キング・ストリートの海側には、現在も1800年代に建てられた建築物が数々残る、かつてのビジネス街を築いたマーチャント・ストリートがあり、この道の海側を平行して走っているのが、クイーン・ストリートになります。この道も、サトウキビ産業が盛んだった時代、ビジネスの中心地として重要な役割を果たしてきた道ですが、歴史をさらに遡っていくと、意外な発見がある興味深い道でもあります。

クイーン・ストリートはホノルル港の目の前からダウンタウンを通り、さらに、倉庫、工場、小さな商店が集まり壁画で有名なカカアコ地区、最新のコンドミニアムが建ち並ぶワード地区、そしてアラモアナセンターの手前まで、約2.3㎞続く道です。その内、歴史的建造物が見られる、ダウンタウン部分のクイーン・ストリートに注目して、どのような建物が見られ、それぞれどのような歴史を持つのかを見てみましょう。


(1880年のクイーン・ストリート)


クイーン・ストリートの「クイーン」とは誰?

1850年にクイーン・ストリートと名付けられたこの道は、カメハメハ3世の妃、カラマ女王にちなんで付けられています。1845年にカメハメハ3世は、ラハイナから現在のイオラニ宮殿に政治の中心地を移し、ホノルルを首都としていました。クイーン・ストリートの起点とも言えるホノルル港は、当時のハワイ王国にとって、貿易や捕鯨において大変重要な場所でした。


(カラマ女王)


カメハメハ大王の住居があった場所



クイーン・ストリートが、海に沿って走るニミッツ・ハイウェイに合流する辺りに、カメハメハ大王が住んでいました。ハワイ島から戦士を引き連れ、マウイ島を制圧した後に向かったオアフ島での、1795年のヌウアヌの戦いの後にワイキキに住居を構えた大王は、1809年にホノルル港に近いこの場所に居を移しました。まだクイーン・ストリートができる前のことで、大王の住居の周辺には、首長達やカメハメハ大王の女王の母親達の家、戦士達の家などが建てられました。1812年にカメハメハ大王一行はハワイ島に戻り、大王は1819年にハワイ島で亡くなりました。


ホノルル・フォート跡地(ケクアノフKekuanohu)



住所:700 Fort Street Mall

1800年代に入り、貿易船が度々ハワイを訪れる中、1804年にロシアとアメリカをつなぐ毛皮貿易船がハワイに到着しました。1815年、ロシアの船員達は「倉庫を建てる」という名目のもと、ホノルル港に隣接する場所に建物を建てる許可をカメハメハ大王にもらいましたが、実際は要塞(フォート)を作り始め、ロシアの旗まで掲げました。

しかもその場所は、戦いの神クーを祀った大切なヘイアウのある場所で、さらに、カメハメハ大王の住居のすぐそばという場所でした。それを知ったカメハメハ大王は、急遽首長や、アドバイザーを務めていたジョン・ヤングを送り込み、必要であれば武力を行使することを許可しました。ロシア人達はすぐにカウアイ島に向かい、カウアイ島の土地を取得して4つの要塞を建てました。

ホノルルの「要塞」は、ハワイアンの手によって1816年に完成し、長さ103m、幅91mの敷地は12フィート(約3.8m)の高さの壁で囲まれました。壁の内側には、兵舎、知事の住居兼仕事場、裁判所、牢屋、王国政府のオフィスなどが置かれ、さらに、1830年までには、40基、1838年には52基もの大砲が設置され、ホノルル港と、その周辺に集まる王族の住居を守る役割を果たしました。


(ホノルル・フォート内の様子。最高裁判所「アリイオラニハレ」内の展示より)


1850年代半ば頃には、新たに刑務所と裁判所が完成したことから、ホノルル・フォートはその役割を終え、1857年に解体されました。使われていた大量の珊瑚のブロックは、ホノルル港に沿って海に沈められ、その石の上には現在、アロハタワーが立っています。

ホノルル・フォートのハワイ語名、Kekuanohu(Ke:冠詞  kua:背中   nohu:オニカサゴ(魚))は、大砲がいくつも張り出して、たくさんのトゲに覆われたオニカサゴの背中のように見えたことから付けられました。ホノルル・フォートにつながる道は、現在も「フォート・ストリート」と道の名前になって、フォートが存在したことを教えてくれています。


C.ブルワー&カンパニー・ビルディング C. Brewer& Co. Building




住所:827 Fort Street
完成:1930年

現在も建築当初の形を残す、地中海近辺の建物の様式が用いられた2階建てのこの建物は、砂糖産業を牽引した5社、ビッグ・ファイブの一つ、C.ブルワー&カンパニーの本社として使われていた建物です。

ビッグファイブの中では、最も歴史のある会社で、ジェームズ・ハニウェル船長により1826年に会社が設立された当初は、貿易と海運業を営んでいました。1836年にチャールズ・ブルワー船長と共同で捕鯨産業に乗り出し、捕鯨が下火になった後の1850年代に、砂糖産業に舵を切りました。

1930年、新たに完成したこの建物を本社として使っていましたが、扱う商品をマカダミアナッツ、コーヒー、ジュースに広げる中、1998年に、それらの産地に近いハワイ島に本社を移しましたが、2006年にその歴史に幕を下ろしました。


現在この歴史ある建物は、より良いハワイのコミュニティーを築くことに力を注ぐ人々やビジネスを援助する、ハワイ・コミュニティー・ファンデーションのオフィスとして使われています。


アレクサンダー&ボールドウィン・ビルディング(Alexander & Baldwin Building)





クイーン・ストリートを歩いていて、ひときわ目を引く立派なこの建物は、ハワイにおける砂糖産業を牽引したビッグ・ファイブの内の一つ、アレクサンダー&ボールドウィンの本部が置かれている建物です。アレクサンダー&ボールドウィン社の創業者、サミュエル・T・アレクサンダー氏と、ヘンリー・P・ボールドウィン氏を偲んで1929年に建てられました。

4階建てのこの建物には、中国、ハワイ、地中海の建築様式と、仏教の要素が取りこまれているという、ユニークなデザインをしています。砂糖の生産と輸出でハワイの経済を牽引していた同社は、後に果物の栽培や不動産業、不動産マネージメントへとビジネスの形態を変え、歴史あるこの建物が現在も、アレクサンダー&ボールドウィン社のオフィスとして使われています。

アレクサンダー&ボールドウィンの創業者、アレクサンダー氏とボールドウィン氏は、それぞれ宣教師の子としてマウイ島ラハイナで出会い、一緒に育った幼馴染で、アレクサンダー氏がサトウキビプランテーションのマネージャーの職に就いた際に、ボールドウィン氏をアシスタントに迎え入れた後、1869年、二人で自ら砂糖産業ビジネスを始めました。手に入れたマウイ島の12エーカーの土地から始まったビジネスは、翌年には559エーカーを加え、アレクサンダー&ボールドウィン,Inc.社創業となりました。



ディリンガム・トランスポーテーション・ビルディング(Dillingham Transportation Building)




(建物の奥に見える煙突は発電所)

住所:735 Bishop Street

完成:1929年

クイーン・ストリートを挟んで、アレクサンダー&ボールドウィン・ビルディングの斜め向かい側にある、イタリアの建築物を彷彿とさせるディリンガム・トランスポーテーション・ビルディング。この建物は、ウォルター・F・ディリンガム氏が父、ベンジャミン・F・ディリンガム氏を偲んで建てたもので、ホノルル美術館*と同じ設計士によって設計されたものです。

建設当初から、オフィスとして貸し出すことを念頭にデザインされており、現在も店舗や企業のオフィス、クリニックなどとして使われています。1階部分は美しいアーケードでできており、ランチタイムが近づくと、数店並ぶ飲食店からランチをテイクアウトする人々で賑わいます。



(アーケードの様子)

*ホノルル美術館


ベンジャミン・ディリンガム氏は、サトウキビのプランテーションがオアフ島各地に作られていく際に、鉄道をオアフ島各地に敷くためのオアフ・レイルロード・アンド・ランド・カンパニー(O‘ahu Railroad and Land Company /OR&L)を1889年に設立した人物で、氏の働きがあって、オアフ島のサトウキビ産業が飛躍的に伸びたと言っても過言ではありません。

各地のプランテーションをホノルル港と結び、サトウキビやパイナップルを運んだだけでなく、オアフ島北部のハレイワまで線路を伸ばして「ハレイワホテル」を開業することで、オアフ島南部に住む人々が、週末や余暇をハレイワで過ごすといったことも可能にしました。


ベンジャミン氏の息子であるウォルター・ディリンガム氏は、1902年に土地の掘削を行うハワイアン・ドレッジング・カンパニー(Hawaiian Dredging Company)を設立し、パールハーバーやアラワイ運河の建設に携わりました。1904年にベンジャミン氏が亡くなったことで、OR&Lを引き継ぎました。

第二次世界大戦中は、兵士や軍需産業に携わる人々の移動を主に賄っていましたが、戦後はプランテーションで働く労働者による大規模、そして長期間に渡るストライキや、道路の整備が進んだことなどで需要が落ち込み、一部廃路が決定し、ついにOR&Lは1971年にその働きを止めました。線路自体はオアフ島の西部に今も残っており、ゆっくりと走る観光列車に乗って、当時の「旅」を実体験できるようになっています。





(オアフ島西部、コオリナにある線路と道路の交差点)


ディリンガム・トランスポーテーション・ビルディングを後にし、さらにクイーン・ストリートをアラモアナ方面に歩いて行くと、キング・カラカウア・ビルディングの裏手、アリイオラニ・ハレの裏手を通って、大通りのパウチボウル・ストリートとの交差点に到着します。この場所からは、左手に大きな墓地が見えてきます。

カワイアハオ教会墓地

(カワイアハオ教会)



1820年に、アメリカ東海岸のボストンから、164日間にも渡る航海の後にハワイに到達した最初のキリスト教宣教師達が、この地を与えられ、草ぶきの教会を建てて布教活動を始めました。

現在の石造りの建物は、1842年に完成した、オアフ島で最も歴史ある石造りの教会となりますが、教会の横には墓地があり、最も古い記録では、1834年に埋葬がこの場所で行われたことが分かっています。現在のところ、およそ600名の埋葬がこの地で確認されていますが、墓石があるものは296か所となっています。

この地には、初期の宣教師達を引率し、カワイアハオ教会設計に携わったハイラム・ビンガム氏の家族や、ハワイ王国が終焉を迎え、ハワイのアメリカ併合に向けて先頭に立った、ハワイ準州初代知事のサンフォード・B・ドール氏などが眠っています。


カワイアハオ教会について詳しくは、こちらをご覧ください。


ロイヤル・ブリューワリー(Royal Brewery)





住所:547 Queen Street
完成:1900年

レンガ造りがニューヨークの街並みを思い起こさせるこの建物は、1898年に設立された「ホノルル・ブリューイング・アンド・モルティング・カンパニー」のために、翌年、ニューヨークの設計士によって設計された建物です。サンフランシスコとニューヨークから建材を取り寄せて造られており、4階建てで、当時のアメリカ本土にあったビール製造工場と同じ造りをしています。

ハワイの地ビール、「プリモ(Primo)ビール」を製造していた工場で、1960年までビールが製造されていました。アメリカ本土のビールがハワイで販売され、それに押される形でプリモビールの製造は中止とされてしまいましたが、現在はアメリカ本土で生産されたプリモビールが、ハワイで販売されています。

ロイヤル・ブリューワリーの建物はビールの生産を終えた後、「Royal Brewery」とサインが付けられていた建物は取り壊され、1995年にコンドミニアムとなり、現在残る昔のままの姿の建物は1996年に改装され、コミュニティーセンターとコンドミニアムとして使われる予定でしたが、改装時に使われた薬剤の匂いが取れず、閉鎖されたままとなっています。



深い歴史を持つ建物が並ぶクイーン・ストリートは、カカアコ、ワード、アラモアナ地区を通るにつれ、道を囲む風景はどんどん現代的なものとなっていきます。特に、ワードからアラモアナ地区のクイーン・ストリート上には、高架の上を電車が走る計画が進められており、さらに風景が未来的なものとなっていくことになります。過去と未来が同時に存在し、過去から未来への「時間の旅」を体験できる興味深い道、それがクイーン・ストリートの姿でもあります。


(白黒写真は、Hawaii State Archivesより、その他写真はHawaii Historic Tour LLC所有)
  • ロバーツさゆり
    Sayuri Roberts
    担当講師

    東京生まれ。筑波大学・比較文化学類にて北米の歴史・文化を学び、英会話スクールの講師等を経て、結婚を機にハワイへ移住。Native Hawaiian Hospitality Association主催の歴史ツアー「Queen's Tour(当時)」に参加し、ツアーガイドの方に、日本語の通訳を頼まれたことから、2004年、ガイドとして登録、研修の上、日本語の歴史ツアーを始める。2006年、「Queen's Tour」の終了を機に、ツアーの継続について主催者の了承を得て、Hawaii Historic Tour LLCを発足、「ワイキキ歴史街道日本語ツアー(当時)」(その後「ワイキキ歴史街道ツアー」に改称)を開始。2007年、「ダウンタウン歴史街道ツアー」もスタート。テレビ、ラジオ、雑誌等、メディア出演多数。 『お母さんが教える子供の英語』(はまの出版)著者。

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