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2021.07.12
古代の人々とサーフィン
ここがポイント
世界各地で行われているサーフィンが、特にハワイで「発展」したその理由を、古代に遡り、サーフボードの形の変化と共に見てみましょう。
ハワイにおける海のスポーツの代表選手、サーフィン。現在このスポーツは世界各地で楽しまれ、世界大会も定期的に行われています。さらに、世界が注目するスポーツの祭典、2020年東京オリンピックにて、初めて競技種目の一つとなったことで、サーフィンというスポーツに注目が集まっています。オリンピックで披露される現代のサーフィンは、ハワイ発祥と言われますが、サーフィン自体の始まりとは、どのようなものだったのでしょうか。古代におけるサーフィンの存在について、詳しく見てみましょう。
太平洋の島々における波乗りの文化
「板などの浮力を利用して波に乗り、移動する」という「遊び」は、ハワイ独自のものではなく、古くから、広くポリネシアの島々で行われてきました。紀元前1500年頃からと推測されていますが、東南アジアから、フィジー、トンガ、サモアなど、南太平洋を東に向かって並ぶ島々へと人々が移住していく中で、生活の一部として波乗りがあったと考えられており、南太平洋からハワイへと人々が移住し始めたと考えられる西暦400~500年代頃には、カヌーで大海を渡る技術と共に、波乗りの文化もハワイに到達していただろうと推測されています。
板の長さの進化と乗り方の変化
島から島へと人々が移住していく中で、波乗りの方法や板の大きさが変化していきました。サモアやトンガといった、ポリネシアの中でも西にある島々では、波乗りは主に男の子が行っており、使われていた板は、現在のボディーボードと同じような大きさの板で、その上に立って使うことは想定されていませんでした。一方で、その東側にあるタヒチ、マーケサス、ラパ ヌイ(イースターアイランド)では、男女、年齢を問わず波乗りを行っており、使われる板は大きく、長くなって、特にタヒチでは、板の上にひざまずいたり、立ったりすることもできるような長さとなっています。
タヒチから人々がさらに移住した先、ハワイやアオテアロア(ニュージーランド)では、板の長さは6フィート(約180㎝)のものが使われました。アオテアロアでは、長さはあっても、幅が狭い板だったため、波の上でその板に立って使うことは難しいものでしたが、ハワイでは、板の長さに加え、幅に広さが加わりました。いずれ、長さ18フィート以上(約5.5m)、幅2フィート(約60㎝)のものが使われるに至ります。使う板が長く、幅広になったことで、大人がその上に立っても十分に浮いていることが可能になったことで、波乗りの技術がハワイで磨かれ、様々なスタイルの「サーフィン」が誕生していきました。
人々の生活に広く浸透したサーフィン
(Hutchings California Magazine-November 1858)
日々、農作業や漁業、生活必需品の製作などに忙しい毎日を送っていた古代のハワイアンにとって、サーフィンは代表的な娯楽の一つとして、老若男女問わず多くの人々が楽しみ、日々の生活にしっかりと根付いていました。毎年10月中旬頃から2月にかけての4か月間、豊穣の神、そして、スポーツの守護神でもあるロノを称える「マカヒキ」の期間は、戦争は禁止となり、毎日の生活に必要な作業を除き、仕事を休んで遊びに興ずることが許されます。このマカヒキの期間にも、人々はサーフィンを大いに楽しみました。
文字で記す文化を持たない古代ハワイでは、歴史は詠唱や歌の形で後世に伝えられていきますが、サーフィンに関する詠唱や歌も確認されています。さらには、神話にもサーフィンが登場しており、次のような話があります。
-ロヒアウが振り向くと、波の上に立つ女神ヒイアカと共にいる、長い銀色の巻き毛を背中にたらした白髪混じりの男が目に入った。その男は巨大な二枚貝の殻のくぼみに立ち、マロ(ふんどし)の赤い先端を真後ろにはためかせ、右手にはホラ貝を握っていた。そして頭には海藻の飾りを乗せていた。
ロヒアウは、その白髪混じりの男が貝のサーフボードに乗り、波の頂から軽々と滑り降りている姿を見てこう思った。「私が身に着けている羽のマントを、ある人物に渡すよう我が女神が仰っていたその人物とは、この男なのか?」―“The Epic Tale of Hi‘iakaikapoliopele”(英語訳 Puakea Nogelmeier 日本語訳 さゆり ロバーツ)
また、石に刻まれた数多くのペトログリフの中には、サーフィンをする姿を刻んだものも、複数確認されています。
このように、一般の人々に広く行われていたサーフィンは、特に王族と密接に関わるスポーツとなっていきました。毎日の耕作や作業に時間を費やす必要がなく、サーフィンの仕方を学ぶ機会も設けられていたことで、多くの王族が、サーフィンの名手として名を残しています。
太平洋の島々における波乗りの文化
「板などの浮力を利用して波に乗り、移動する」という「遊び」は、ハワイ独自のものではなく、古くから、広くポリネシアの島々で行われてきました。紀元前1500年頃からと推測されていますが、東南アジアから、フィジー、トンガ、サモアなど、南太平洋を東に向かって並ぶ島々へと人々が移住していく中で、生活の一部として波乗りがあったと考えられており、南太平洋からハワイへと人々が移住し始めたと考えられる西暦400~500年代頃には、カヌーで大海を渡る技術と共に、波乗りの文化もハワイに到達していただろうと推測されています。
板の長さの進化と乗り方の変化
島から島へと人々が移住していく中で、波乗りの方法や板の大きさが変化していきました。サモアやトンガといった、ポリネシアの中でも西にある島々では、波乗りは主に男の子が行っており、使われていた板は、現在のボディーボードと同じような大きさの板で、その上に立って使うことは想定されていませんでした。一方で、その東側にあるタヒチ、マーケサス、ラパ ヌイ(イースターアイランド)では、男女、年齢を問わず波乗りを行っており、使われる板は大きく、長くなって、特にタヒチでは、板の上にひざまずいたり、立ったりすることもできるような長さとなっています。
タヒチから人々がさらに移住した先、ハワイやアオテアロア(ニュージーランド)では、板の長さは6フィート(約180㎝)のものが使われました。アオテアロアでは、長さはあっても、幅が狭い板だったため、波の上でその板に立って使うことは難しいものでしたが、ハワイでは、板の長さに加え、幅に広さが加わりました。いずれ、長さ18フィート以上(約5.5m)、幅2フィート(約60㎝)のものが使われるに至ります。使う板が長く、幅広になったことで、大人がその上に立っても十分に浮いていることが可能になったことで、波乗りの技術がハワイで磨かれ、様々なスタイルの「サーフィン」が誕生していきました。
人々の生活に広く浸透したサーフィン
(Hutchings California Magazine-November 1858)
日々、農作業や漁業、生活必需品の製作などに忙しい毎日を送っていた古代のハワイアンにとって、サーフィンは代表的な娯楽の一つとして、老若男女問わず多くの人々が楽しみ、日々の生活にしっかりと根付いていました。毎年10月中旬頃から2月にかけての4か月間、豊穣の神、そして、スポーツの守護神でもあるロノを称える「マカヒキ」の期間は、戦争は禁止となり、毎日の生活に必要な作業を除き、仕事を休んで遊びに興ずることが許されます。このマカヒキの期間にも、人々はサーフィンを大いに楽しみました。
文字で記す文化を持たない古代ハワイでは、歴史は詠唱や歌の形で後世に伝えられていきますが、サーフィンに関する詠唱や歌も確認されています。さらには、神話にもサーフィンが登場しており、次のような話があります。
-ロヒアウが振り向くと、波の上に立つ女神ヒイアカと共にいる、長い銀色の巻き毛を背中にたらした白髪混じりの男が目に入った。その男は巨大な二枚貝の殻のくぼみに立ち、マロ(ふんどし)の赤い先端を真後ろにはためかせ、右手にはホラ貝を握っていた。そして頭には海藻の飾りを乗せていた。
ロヒアウは、その白髪混じりの男が貝のサーフボードに乗り、波の頂から軽々と滑り降りている姿を見てこう思った。「私が身に着けている羽のマントを、ある人物に渡すよう我が女神が仰っていたその人物とは、この男なのか?」―“The Epic Tale of Hi‘iakaikapoliopele”(英語訳 Puakea Nogelmeier 日本語訳 さゆり ロバーツ)
また、石に刻まれた数多くのペトログリフの中には、サーフィンをする姿を刻んだものも、複数確認されています。
このように、一般の人々に広く行われていたサーフィンは、特に王族と密接に関わるスポーツとなっていきました。毎日の耕作や作業に時間を費やす必要がなく、サーフィンの仕方を学ぶ機会も設けられていたことで、多くの王族が、サーフィンの名手として名を残しています。
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ロバーツさゆりSayuri Roberts担当講師
東京生まれ。筑波大学・比較文化学類にて北米の歴史・文化を学び、英会話スクールの講師等を経て、結婚を機にハワイへ移住。Native Hawaiian Hospitality Association主催の歴史ツアー「Queen's Tour(当時)」に参加し、ツアーガイドの方に、日本語の通訳を頼まれたことから、2004年、ガイドとして登録、研修の上、日本語の歴史ツアーを始める。2006年、「Queen's Tour」の終了を機に、ツアーの継続について主催者の了承を得て、Hawaii Historic Tour LLCを発足、「ワイキキ歴史街道日本語ツアー(当時)」(その後「ワイキキ歴史街道ツアー」に改称)を開始。2007年、「ダウンタウン歴史街道ツアー」もスタート。テレビ、ラジオ、雑誌等、メディア出演多数。 『お母さんが教える子供の英語』(はまの出版)著者。
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